研究プロジェクト「服ヲ掘ル」は、専用サイト fukuwohoru.com へ移行しました。

これからの服ヲ掘ル

なぜFUKUBORIと服ヲ掘ルを切り分けるのか?

役割がまったく違う

一言で言えば、服ヲ掘ルは研究で、FUKUBORIはものづくりだからだ。

服ヲ掘ルにとって、ヴィンテージは教科書だ。
解体は破壊じゃなく、構造を理解するための学習であり、繋がる物づくりへの想像。

FUKUBORIは、そこで学んだ構造の知恵を現代に翻訳するブランドだ。服は構造体である、という考え方で作っている。過去をなぞるんじゃなく、翻訳する。

混ぜた瞬間、両方が濁る

じゃあ、なぜ一緒にしてはいけないのか。理由は二つある。

一つ目。研究が広告になった瞬間、研究は死ぬ。

もし服ヲ掘ルの解体記録が「FUKUBORIを売るための前振り」になったら、どうなるか。読む人は必ず気づく。「ああ、これは結局セールストークなんだな」と。
そうなったら、「不明は不明と書く」という姿勢も、都合よく編集された演出に見えてしまう。研究の正直さは、売るための下心が一滴混ざるだけで信用を失う。それは、記録を残す意味そのものを壊すことだと思っている。
これまでもサイトを分けたい思いは強く持っていたし、FUKUBORIの販売戦略に入れ込みたくない思いは常に持っている。

二つ目。ブランドが研究に寄りかかると、服が自分の足で立てなくなる。

FUKUBORIの服は、背景の蘊蓄を知らなくても「良い」と思えるものでなければいけない。「このディテールは何年代の何某の再現でして…」という説明がないと成立しない服は、服として弱い。研究の権威を借りて服を売り始めたら、それはものづくりの敗北だと思っている。服は、袖を通した人の体の上で勝負するべきだ。

でも、地下では繋がっている

切り分けたいけれど、無関係ではない。むしろ逆だ。

服ヲ掘ルで学んだ構造の知恵は、FUKUBORIのパターン設計に確実に流れ込んでいる。ただしそれは「引用」じゃなく「翻訳」として。

地表では別々の畑に見えて、地下では同じ水脈を共有している。そういう関係にしたい。
とはいえ、今のFUKUBORIでは成立させる為に、時に繋がっている事を示す必要がある事も事実で。

分けるのは、切り離すためじゃない

だから、この切り分けは距離を取るためのものじゃない。両方を生かすためだと考えている。

想像や妄想は正直であり続けるために。
服は服として自分の足で立つために。

僕は両方を、濁らせたくない。

少しずつ、繋がりを水面下に移行させていきたい。
これが正直な思い。

解体の記録、パターン研究、展示と刊行物、そして書籍のご購入は、すべて新しいサイトでご覧いただけます。

fukuwohoru.com へ →

 

このFUKUBORIのサイトは、これまで通り製品とNayaのご案内を続けます。